奇跡と呼びたくなるほどの幸運や、たくさんの尊い人との出会いのおかげで、
私たち「株式会社KAI-SHIN」は10年以上にわたり、多くの方に愛され、育てられてきました。
「想われる前に、まずは人を想うことを忘れない」
という営業理念を胸に、多くの店の中からわざわざ足を運んでくださるお客様一人ひとりに必ず
喜んでいただくという気持ちで、日々挑戦を続けています。
社名の由来である
【皆(カイ) で 信じ(シン)】
【皆(カイ) と 伸び(シン)】
【皆(カイ) と 進む(シン)】
ことを忘れず、
これからも助け合いながら成長していきます。
OLD BARREL(オールドバレル)は、以前「ハミルトン」という店でした。ハミルトンは当時10店舗以上の飲食店を展開していた「A会社」の1店舗で、私は平成15年からハミルトンの店長を務めていました。
平成17年7月30日21時ごろ
いつものように仕事をしていた私達のもとに、一本の電話がかかってきました。
電話は会社の上司から。上司は「A会社は、明日で倒産する」と私に告げました。
あまりにも突然の出来事に頭が真っ白になり、その後のことはよく覚えていません。
一つだけ覚えているのは、不安や悔しさに押し潰されそうになりながら、当時のスタッフ達と閉店に向けた店の片づけを泣きながら行った事だけです。
自宅に帰り着き、不安で眠れないまま迎えた平成17年7月31日の早朝。
「A会社倒産」のニュースがテレビで報道されるのを見たときに、会社倒産という現実を実感しました。それと同時に自分達のおかれている状況も把握しました。
数週間後、A会社の飲食店10店舗が競売にかけられると聞きました。各店舗の店長の大半が店への愛着から、それぞれの店舗競売に参加しようとしていました。私にもハミルトン競売参加の話がありましたが、将来の不安から競売参加は悩んでいました。そんなある日、元気の無い私を気遣ってくれた友人がハミルトン近くにある神社の祭りに誘ってくれ、私は気分転換に祭りに行くことになります。
出店を周り、神社にお参りをして「そろそろ帰ろうか」と何気にふと上を見上げたとき、
私の眼にはハミルトンが映りました。
毎年この祭りの日は、すごく忙しいはずの店が真っ暗でした
「それもそうか、だって閉店したんだから……」
そう思った瞬間、ハミルトンで過ごした思い出が走馬灯のように蘇りました。
「何度も足を運び、働かせて欲しいと頼みこんだ日々」
「憧れのカウンターに立ち、初めてカクテルを作った日」
「朝方まで仕事について熱く語り合った日々」
「営業後にトランプゲームで笑いあった日々」
「意見が合わない先輩たちと葛藤した日々」
「初代店長が、私にハミルトン店長を任せてくれた想い」
「店長となって、共に成長してきた仲間と過ごした日々」
「倒産の電話を受け、涙を流しながら店の片づけをした、あの日」
いつの間にか私は、一目を惜しまず泣いていました。
「何年か経った後。またいつの日か、こうしてハミルトンを見上げたときに自分の大好きだった店が、知らない人の手で全然違う店になっているのを絶対に見たくない!」
私がハミルトンの競売に参加を決意した瞬間でした。
競売への参加を決めた私に、大きな壁が立ちはだかります。
ハミルトン競売への応募数は十数件。しかも、その中には個人だけでなく企業も参加していました。
企業がハミルトンの競売に提示した金額は、私の自己資金などでは話にもならないほど高額でした。
その金額に他の競売相手は全員諦めましたが、私は諦めることなど出来ませんでした 。
融資を得るため金融機関にも行き尽くしましたが全て断られました。
金融機関の人達には、なんの信用も無い私が競売に勝つことなんて不可能だと言われ続けました。
どうしようも無くなった私に、救いの手を差し伸べてくれた恩人が二人。
一人は私の兄。もう一人は「Mさん」という昔からの常連のお客様です。
Mさんとは店のお客様として仲良くなり、娘さんの誕生日に呼ばれたり自宅に招いてもらって一家全員と食事させてもらったりしていました。色んな相談にものってくれて時には厳しく叱ってくださる、私にとって第二の母のような存在でした。
A会社の倒産後、私がハミルトンの競売に参加しているという情報を耳にして電話をくれたのです。
様々な経営や企業に携わってきたMさんは、当時の無知・無力な私に「情報」と「人脈」を授けてくれました。その情報に添いながら、紹介してもらった方と動いていくと、なんと高額な金額を提示していた企業が競売から身を引いたのです。
こうして競売に勝つことが出来た私は、大好きな店を自分の店として始められることになります。
倒産から3ヵ月が過ぎていました。
その3か月間、店がオープンするための準備には、元ハミルトンのスタッフ達が無給でずっと手伝ってくれました。
平成17年10月13日。
ハミルトンはOLD BARREL~since1986~と名前を替え、新しくスタートしました。OLD BARRELとは「古い樽」という意味です。
ウイスキーを樽で熟成させるとき、真新しい樽よりも何回か使用した後の古い樽のほうが、
より深い味わいと薫りを産みだします。
決して新しくは無いけれど、古いからこそ出せる「あじ」を出していきたい。
そして私に想いを託していった、ハミルトン時代の仲間達の心を引き継いでいきたい。
「OLD BARREL~since1986~」という店名には、そういう想いが込められています。
1986年はハミルトンがオープンした年です。
OLD BARRELオープンから4年後、姉妹店 「Party Hall HINATA」をオープン。そして、「株式会社KAI-SHIN(カイシン)」を設立します。
株式会社KAI-SHINの創立記念日は、私の兄の誕生日12月1日。
そしてKAI-SHINで働くスタッフの心得には「想われる前に、まずは人を想うことを忘れない」があります。
この言葉は「Mさん」が私に教えてくれた言葉です。
2006年のOLD BARRELのOPENから今日に至るまで10年以上。本当に沢山の方々との、かけがえのない出会いを与えていただいてきました。お客様にお喜びいただいているという自負も少なからず持っています。しかし私たちはまだまだ歩みを止めることはありません。お客様の考え方や感じ方は十人十色。私たちの店を選んで来てくださる一人ひとりのお客様に、心から満足を感じていただけるよう、これからも日々試行錯誤を繰り返します。
OLD BARRELを立ち上げる際、恩人のMさんに教えていただいた
「思われる前に、まずは人を想うことを忘れない」という大切な言葉。
その言葉を営業理念とする弊社は、社員はもちろん、アルバイトスタッフまでの全員が
「常にお客様の立場に立った考え方やおもてなし」や、
「一緒に働く仲間との助け合い」をする企業です。
あたりまえに人のことを大切に想える、夢や目的を持つポジティブなあなた。
KAI-SHINで私たちと一緒に夢に向かって歩んでいきませんか?
~南九州のアンテナショップへ~
KAI-SHINは「沢山の方に知覧町へ足を運んでいただきたい!」という想いから、
南九州市の特産品を食材のメインで取り扱っています。
様々な生産者さんのもとへ行き、見て・触れ・話し・体感した自信のある食材を
お客様に提供することで、「地域や街の発展に貢献したい」と考えています。
ホールスタッフ/ バーテンダー / キッチンスタッフ / 料理長候補/マネジャー候補